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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)4907号 判決 1973年1月30日

原告

山口得三

外一九名

原告ら訴訟代理人

豊川正明

外一名

被告

奥田梅吉

奥田建設株式会社

右代表者

奥田勝典

被告ら訴訟代理人

樫本信雄

外二名

主文

一、被告らは、原告山口得三、同内林嵩、同本瓦益也、同橋本千代、同小野俊子、同渋谷治一、同村野勝美、同小椋平三に対し、別紙物件目録第一記載の土地上に堆積している廃木、岩石、屋根瓦等の物件を撤去せよ。

二、原告小椋平三を除く第一項記載原告らのその余の請求、並びにその余の原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告小椋を除くその余の原告ら、その一を被告らの各負担とする、

四、主文第一項は仮りに執行できる。

事実

第一、当事者の申立

(原告ら)

一、被告らは、原告らに対し、別紙物件目録第一記載土地上に堆積している廃木、岩石、屋根瓦等の物件を撤去せよ。

二、被告らは、連帯して原告中許忠夫、同小椋平三、同八木敬子を除く原告らに対し各金一〇万円を支払え。

三、訴訟費用は、被告らの負担とする。

四、仮執行の宣言。

(被告ら)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二、請求原因

一、原告らが居住する大阪市阿倍野区北畠一丁目一五番附近の土地は、別紙物件目録第一記載土地(以下、本件道路という。)の北側の部分が元同区北畠一丁目二六番および同二七番と表示され、本件道路を含む南側の部分が元同三三番と表示されていた土地であつたが、昭和初年頃はこれらの土地は、本件道路も含めて全て訴外小出善兵衛が所有していたものであり、当時は田畑であつた。ところが、昭和四年まず本件道路の北側に家屋番号一三八番及び一四〇番の家屋が建築され、次いで昭和五年本件道路の南側に家屋番号一四四番の家屋、それから数年後に家屋番号一五〇番の家屋が更に、昭和九年頃には家屋番号一三九番、同一四二番の家屋並びに同二六番の家屋が、それぞれ建築された。

しかして、これ等の家屋は、いずれも土地所有者であつた訴外小出以外の者により建築されたものであり、訴外小出はこれ等の者に対して右各建物の敷地部分を賃貸していたのであるが、本件道路部分は、すでに、その頃から右家屋の居住者らのための道路として提供され、利用されてきた。

そして、右小出所有地のうち本件道路を含む南側の土地(北畠一丁目三三番地、以下、旧三三番の土地という)はその上に家屋が建築譲渡されるに伴つてその敷地も順次分筆譲渡され現在のように三三番地の一乃至二〇に分筆されたのであるが、本件道路部分は、終始、道路として残され、昭和三二年一〇月に同番の二〇の土地として分筆されたものである。

一方、本件道路北側の土地(北畠一丁目二六、二七番地以下、旧二六、二七番の土地という)は、終戦直後までは訴外小出善兵衛の所有で、昭和二三年当時はその相続人である訴外小出善雄の所有となつていたが同人は昭和二三年五月一二日大蔵省に対し右土地を財産税として物納し、その後、大蔵省が順次これを原告らその他に分割譲渡した結果現在のように二六番地の一ないし一三に分筆された。

二、そして、原告らは、本件道路の北側並びに南側に隣接する土地上の前記家屋に居住し、本件道路を利用してきた者であるが、その居住家屋及び敷地部分の所有関係等につき述べると次のとおりである。

(1)、原告山口得三は、昭和一九年から本件道路の北側部分にある家屋番号一三八番の四の家屋に居住し、昭和二五年四月に同家屋を購入、その敷地部分の土地は長男山口得喜名義で昭和三九年に大蔵省(国)より買受け所有している。

(2)、原告内林嵩は、昭和二七年五月より本件道路の北側部分にある家屋番号二六番の四の家屋に居住し、同家屋及びその敷地部分を昭和二八年に買受け(但し、右土地は妻内林かね名義で購入)所有するようになつたが、現在家屋は昭和四二年一月に改築したものである。

(3)、原告本瓦益也は、昭和三一年四月より本件道路の北側部分にある家屋番号一三八番の三の家屋を購入して居住し、昭和三九年その敷地部分を大蔵省(国)より買受け所有するようになつた。

(4)、原告橋本千代は、昭和二三年より本件道路の北側部分にある家屋番号一三八番の二の家屋を買受け居住し、その敷地は昭和三九年二月大蔵省(国)より買受け所有している。

(5)、原告小野俊子は、昭和二四年一〇月より本件道路の北側部分にある家屋番号一三八番の家屋に居住し、同家屋を同二五年一一月に亡夫小野孝雄が購入し、その敷地部分は同三九年二月同原告が大蔵省(国)より買受け所有している。

(6)、原告渋谷治一は、同二四年一〇月より本件道路の北側部分にある家屋番号一四〇番の家屋に居住し、同家屋を同二五年一二月に妻フデ名義で購入、その敷地部分を同二六年大蔵省(国)より長女記子名義で買受け所有している。

原告佐藤昇は、原告渋谷の長女記子と結婚し、昭和三八年三月より原告渋谷宅に同居している。

(7)、原告肥田惣次郎は、同二〇年五月より本件道路の北側部分にある家屋番号一三九番の家屋に居住し、同二五年四月同家屋を長男肥田誠一名義で買受け所有し、その敷地部分は大蔵省(国)の所有であるのでこれを現在賃借している。

(8)、原告村野勝美は、昭和二〇年九月より本件道路の北側部分にある家屋番号一四〇番の二の家屋に居住し、同家屋及び敷地部分を所有している。

(9)、原告橋本弘は、昭和三九年三月より本件道路の北側部分にある家屋番号一四〇番の四の家屋に居住し、同家屋及び敷地部分は妻の亡父八木顕一郎が昭和二六年二月に購入し、現在、原告八木敬子の所有となつている。

(10)、原告時枝小つる、同林寅治は昭和二〇年一二月より本件道路の北側部分にある家屋番号一四〇番の三の家屋に居住し、同家屋及びその敷地部分の所有者である原告小椋平三より右家屋を賃借している。

原告泉隆志は、原告小椋平三と姻戚関係にあり同三八年四月より同家屋を同人より賃借居住している。

(11)、原告岡本紀美は昭和六年、同上山マサは同一〇年より本件道路の南側部分にある家屋番号一四四番の家屋に居住し、それぞれ、その居住家屋は所有者たる訴外船津弥之助から賃借している。なおその敷地部分も同人の所有である。

(12)、原告四ツ碇徳三郎は、昭和二三年二月より本件道路の南側部分にある家屋番号一五〇番の家屋に居住し、同三五年六月に長女美作子名義で同家屋を買受け所有している。同家屋の敷地部分は被告奥田の所有である。

(13)、原告中井誠は、昭和三六年一一月より本件道路の南側部分にある家屋番号一四二番の家屋に居住し、同家屋及びその敷地部分は原告中許忠夫の所有であり、同人より右家屋を貸借している。

(14)、原告八木、同小椋、同中許は、いずれも現在他所で生活しているが、前述のとおり、原告八木は前記(9)の家屋と敷地、原告小椋は前記(10)の家屋と敷地、原告中許は前記(13)の家屋と敷地を所有し、原告中許、同小椋はその家屋を賃貸している。

三、請求原因一で述べた如く、三三番地の二〇にあたる本件道路は、元は三三番地の土地の一部として訴外小出善兵衛の所有であつたが、同土地が分割譲渡されるに従つて、昭和三二年一〇月、三三番地の二〇として分筆されたものであり、昭和四、五年頃からその南北両側に現在原告らの居住する家屋が建築されたときから道路として使用されてきた。

しかるに、被告奥田は、昭和三七年四月本件道路を買い受けるや、自己が会長として経営にあたつている被告会社用の木材等の置場に本件道路を使用すると称して、本件道路上に被告会社所有又は管理にかかる長さ数メートル、幅二十数センチメートルの廃木、重さ約三〇〇キログラムの岩石、あるいは屋根瓦等(以下、本件妨害物という)を多数積み重ねて、放置し原告らの本件道路の自由な使用通行を妨害している。

四、そこで、原告らは、次のような法律上の根拠に基づき本件妨害物の撤去並びに慰藉料の請求をする。

(一)、被告らの右行為は原告らの本件道路を道路として使用すべき権利を侵害しあるいは権利濫用として不法行為に該当する。即ち、前述のように、本件道路は、その南北に隣接する土地上に家屋が建築された昭和四、五年頃からその住民の道路として使用されてきたのであり、被告奥田が買受けるまでは本件道路の所有者から異議が述べられたことはなかつた。ところが、被告奥田は、本件道路が附近の住民の道路として使用されていることを十分認識しながら、たまたま、公簿上「宅地」となつていることに目をつけ、本件道路の使用を妨害することにより、あるいは原告らに宅地として高く売りつける等して不法の利益を得ようとして本件道路を買受けたものである。このことは、被告奥田が、本件道路を買受けた直後である昭和三七年六月本件道路の西端に当る部分に建坪六一平方メートルの二階建の木造家屋を建築したが違法建築物として大阪市の撤去命令により撤去せざるを得なかつたこと、廃木等を置くなどの前記妨害行為は右撤去の直後になされたことからも推認されうる。

そして、被告らは本件道路を被告会社の資材置場として使用すると称しているが、それが単なる口実にすぎず被告らにおいて本件道路を使用すべき実益を有しないことは、被告会社が本件道路から遠く離れたところにあり本件道路が同社の資材置場として全く適しないものであることや、現に本件道路上に置かれているものがとうてい建築資材となり得ないような廃材や岩石ばかりであることおよび被告らが本件妨害物を放置するに至つた上記経緯に照らし明白である。

他方、本件道路は、既に、過去数十年の永きにわたつて原告ら附近住民の歩行、車両通行の道路として、あるいは子供の遊び場としてその日常生活に必要不可欠な場所として利用されてきたものであり、原告ら附近住民のための良好な環境衛生を保全しその快適な生活環境を維持するために必要不可欠であるばかりでなく、火災、地震等の災害や急病人搬出等の緊急時における不測の惨事を避けるためにも欠くべからざるものである。

右のとおり、原告ら住民が本件道路を自由に使用できることによつて亨受してきた生活上の利益は極めて大きく今後もこれを必要としていることは多言を要しないところ、被告らは、自からこれを使用すべき何らの実益も有せずその必要もないのに前記の如き不法な目的のために本件妨害物を放置して原告らの生活利益を奪いこれを侵害している。

被告らのかかる行為は、まさに、本件道路の社会的、経済的効用を失わせ平和で安全な市民の生活を根本から否定するものであり、権利の乱用であるから、これによつて惹起された違法状態は直ちに排除さるべきである。

そして、原告らは、本件道路を道路として使用するにつき次のような権利を有している。

(1)、原告らは、本件道路に対し「生活権」の一種として日常生活上の使用通行権を有する。

即ち、前述のように、本件道路は数十年の間外形上も完全な道路としての形態を有し、原告らあるいは原告らの前居住者により道路として使用されてきたものであり、原告らが日常生活を続けて行く上に本件道路は不可欠のものであるから「生活権」の一種として前記のような権利を有するというべきである。

(2)、原告らは、本件道路上に通行地役権を有する。

前述のように、本件道路は、昭和四年頃から同九年頃にかけてその南北に家屋が建築された際に、そのときの所有者である訴外小出善兵衛によつて「道路」として提供された。従つて、その際、訴外小出とその家屋の新有者らとの間、または、その後に右家屋の敷地を譲受けその所有権を取得した者ないし右家屋の賃借人となつた者との間に、その家屋の敷地の便益に供するために本件道路を道路として利用する明示または黙示の地役権設定契約がなされ、原告らは、いずれも、右契約により生じた地役権を承継取得している。

そして、右最初の地役権取得者及びその後の承継取得者である原告らは右地役権につき登記をしていないが、本件道路の如き道路としての形態、使用通行の状況及び被告奥田の前記不法目的のための譲受け等の事実を斟酌すれば、被告奥田はいわゆる背信的悪意者に該当し原告らは右地役権を登記なくして同被告に対抗できるものであり、ひいては被告会社に対しても対抗できるというべきである。

(3)、原告らは、本件道路上に慣行による地役権を有する。

前述のように、本件道路は長年月の間道路として形態を有し、附近の住民も加えて道路として使用されてきたものであり、かかる場合は慣行による通行権ないし地役権を認めるべきである。

(4)、原告らが居住する家屋の敷地部分はいずれも袋地であり、本件道路を通らなければ公道に通ずることはできない。従つて、原告らは本件道路に対し囲繞地通行権を有するものであり、その範囲は、本件道路の前記利用状況や原告らにとつての必要性および被告らの行為の無益性、不当性等を考慮すれば、本件道路全体に及ぶものというべきである。

以上の如く、原告らは、本件道路を道路として使用すべき右のような権利を有するものであり、被告らの本件妨害行為は右権利の侵害行為として直ちに不法行為を構成するものであるが、更に、本件道路は原告らの日常生活にとつて不可欠のものであるのに対し、被告会社は本件道路をその建築業の資材の置場として利用しなければならない必然性は全くないこと、いかに所有権を有するからといつて本件のような土地利用の仕方は経済的社会的目的に反すること等の諸点より考察すれば被告らの本件妨害行為は権利濫用として不法行為に該当するというべきことは前述のとおりである。

(二)、そして、右不法行為により、現地に住み本件道路を現実に利用してきた原告ら(即ち、原告中許、同小椋、同八木以外の原告ら)は、左記の如き損害を蒙つており、これに対しては右原告らにつき少くとも各金一〇万円宛の賠償金が支払われるべきである。

(1) 本件道路への車両の出入が全く不能となつたため、火災、地震、急病人搬出等の緊争時には不測の惨事をまねく虞があり、原告らは、毎日、多大な心理的苦痛を味つている。

(2) 歩行による通行も容易でなく、原告ら家族は廃木、岩石等につまずきしばしば傷害を受けている。

(3) 本件妨害物のため、ハエや蚊が非常に発生し易くなり、また、厨芥、犬猫の捨て場になつたため、道路上の衛生、風紀が著しく悪化した。

(4) 近くに遊園地がなく子供の遊び場が奪われた。

(5) 本件道路の地下には、ガス管、水道管等が埋設されているが、本件妨害物のためその修理に多大の困難を伴い、日常生活を営む上で蒙る不安、苦痛は尽大である。

(三)、よつて、原告らは、前記各権利ないしは不法行為の効果として本件各請求をする。

第三、請求原因に対する被告らの認否並びに主張

(認否)

請求原因一中、本件道路が原告ら主張の頃から道路として利用されてきたことは否認し、その余の事実は認める、同二の事実は不知、同三の事実中本件道路が昭和四、五年頃から道路として使用されてきたという事実原告らの本件道路の自由な使用通行が妨害されているという事実は否認する、その余の事実は認める、同四の事実中、原告上山、同岡本、同山口、同本瓦、同橋本千代、同小野、同佐藤、同渋谷、同泉、同時枝、同内林、同肥田が居住する家屋の敷地部分が袋地であり本件道路以外には公道に達する道はないことおよび被告奥田が本件道路の西端に二階建木造家屋を建築し後にこれを撤去したことは認める、その余の事実は争う。

(主張)

被告奥田は、訴外荘所昭他二名の共有であつた本件道路を買受けたものであるが、同人等のいうには、本件道路の南北にある原告らの居住家屋の前には東西にある道路に通ずる通路があるので、それを妨げない限り、空地には買主の方で建物等を建築することができるものであるとのことであつたのでこれを買受けたものである。

そして、本件道路の西端部分に前記建物を建築しはじめたところ、大阪市より中止を命ぜられ、撤去方を要請されたので、被告奥田はこれを撤去した。しかし、本件道路上に建築用の資材、廃材等を置くことは禁止されず、右撤去家屋の材木や他の家屋を買受けた際の廃材、庭木等を置く場所がなかつたので同地上に右材木等を置き、材木がくずれたり子供らが入り込んで怪俄をしないよう一部には板囲いをしておいたものである。

しかも、本件道路上には、その東西両側に存する公道に達する道路部分を確保してあり原告らがこの部分を通行することは何ら妨げられていないのであるから、原告らの主張は理由がない。

第四、証拠関係<略>

理由

一、本件妨害物の排除請求について

(一)、本件道路とその両側にある原告らの居住地(旧北畠一丁目二六、二七および三三番の土地)が全て元訴外小出善兵衛の所有に属するものであつたことおよび昭和四、五年ごろから本件道路の南北両側に原告ら主張の如き家屋が順次建築されはじめ、その後、右土地が原告ら主張の如く分筆譲渡されたものであることは当事者間に争いがなく、<証拠>によば、

(1)  本件道路は、幅員約5.5メートル、長さ約三六メートルの東西に細長い長方形で、その西端は南北に通ずる幅員五メートル余の公道と接し、その東端も南北に通ずる幅員約一、八ないし二、八六メートルの公道に接する土地であり、その南北両側に後記のとおり原告ら居住の各家屋がある。

(2)  本件道路は、昭和四、五年頃原告ら主張の家屋が建築されはじめた頭初から、当時これを所有していた訴外小出善兵衛によつて右家屋に居住する者らのための道路として無償で使用させるべく提供されたものであり、爾来、本件道路は右家屋居住者及び附近の住民により道路として利用されてきた。

(3)  そして、被告奥田が本件道路を買受けるまでの三十数年間その所有権は数度にわたり移転したが道路としての利用状況を変更しようとする者はなく本件道路としてのみ利用されてきたのであるが、被告奥田は、昭和三七年四月ごろ、前所有者が本件道路の一部に通路を残しておけば他は自由に使用しても差支えない旨話していたこともあり、本件道路上に家屋を建築する予定でこれを購入した。

(4)  被告奥田は、右購入後間もなく、本件道路の西端に、一部通路を残し、二階建の家屋を建築し始めたところ、大阪市長より建築基準法に違反するとして右工事の中止、建築物の撤去を命ぜられた。

(5)  これに対し、被告奥田は異議の申立をなし右命令の取消を求めたが入れられず、結局、右建築物を撤去し、その後に、被告会社が所有または管理する本件妨害物を置いた。

(6)  その際、被告奥田は、本件道路の北側に幅約1.5ないし2メートル、南側に幅約0.6メートルの部分を通路として残しており原告らが右部分を歩行又は自転車で通行することは可能であるが、自動車の通行はできず、本件道路を従前の如く自由に使用、通行することは不可能になつた。

以上の如き事実が認められ、本件妨害物があるために、原告らの従来自由に使用通行してきた本件道路の使用通行が妨害されていることは明らかである。

(二)、そこで、次に原告らの本件妨害の排除請求の法律上の根拠の有無につき、検討する。

(1)、不法行為の効果としての排除請求について

我が民法によれば、不法行為の効果としては損害の金銭賠償が原則なのであつて(同法四一七条、七二二条一項)、金銭賠償以外の方法による原状回復は名誉毀損等特に定めがある場合に限られるべきであり、妨害物等により具体的に権利等が侵害されている場合の妨害物の除去は、その権利等を根拠とする妨害物排除請求によつてなされるべきが本則である。

従つて、仮りに、被告らの本件妨害行為が不法行為に該当するとしても(この点については後記二参照)不法行為の効果として本件妨害物の排除請求をするという原告らの主張は俄かに採用できないというべきである。

(2)、「生活権」の一種としての「日常生活上の使用通行権」並びに「慣行による地役権」を根拠とする排除請求について

原告らは、「生活権」の一種としての「日常生活上の使用通行権」ないし「慣行による地役権」を有すると主張するが、原告らのいう右権利が我が法上具体的に如何なる性質、内容の権利となるのか、また、現行法上認められている通行権ないし地役権とどのように異なるのかは明らかでなく、もし、それが物権としての性質を有するものとすれば我が法が物権法定主義の立場を採り、法律の定める以外は原則として物権を認めていないこと、との関係からも、俄かにこれを認め難く、以上のような法律上の根拠に基づく排除請求も理由がないというべきである。

(3)、通行地役権を根拠とする排除請求について

本件道路を含む旧三三番の土地およびこれに隣接する旧二六、二七番の土地がが元訴外小出善兵衛の所有に属していたことおよび右土地の所有権が、終戦直後、相続によりその息子である訴外小出善雄に移転したことは当事者間に争いがない。

そして、前掲各証拠ならびに弁論の全趣旨によると、

1 その後、本件道路を含む旧三三番の土地のうち現在原告中許の所有となつている部分が昭和二二年九月ごろ三三番の三の土地として同人に分割譲渡されたこと。

2 そして、本件道路部分と右三三番の三の土地以外の南接部分(現在の三三番の一六、一七および一九の部分)は右小出善雄の所有地として留保されていたが、昭和二三年一二月ごろ同人から訴外山上消防服装株式会社へ、次で同二九年一二月ごろ同人から訴外荘所太一郎へと順次譲渡され、その後、昭和三四年一二月ごろ、本件道路に南接する土地のうち三三番の一六および一七の部分が訴外船津弥之助へ譲渡されたこと。

3 本件道路部分および残りの南接部分(現在、原告四ツ碇が居住している部分)は同番の三〇および一九の土地として右荘所の所有地として残されていたが、昭和三七年四月に至り被告奥田が右両地の所有権を取得したこと。

4 他方、本件道路に北接する旧二六および二七番の土地は昭和二三年五月ごろ前記小出善雄から大蔵省へ物納され、その後、原告らが請求原因二で主張する如く大蔵省より順次分割譲渡されたこと。

以上の如き事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実に照らすと、原告中許が三三番の三の土地を取得し、あるいは本件道路の北側にあたる旧二六、二七番の土地が大蔵省に物納された時点において、本件道路の所有者であつた訴外小出善雄と右土地の各取得者との間で黙示的な地役権設定契約が締結され、更には、訴外船津が三三番の一六、一七の土地を訴外荘所太一郎より譲受けた際、右当事者間で本件道路についての黙示的地役権設定契約が成立したとみるべき余地もないではなく、通行地役権があるとする原告らの主張には一概に排斥し得ないものがあるが、原告らが地役権を有するとしても、その地役権取得につきその旨の登記がないことは原告らの自認するところである。そこで、被告らが右地役権を登記なくして対抗される背信的悪意者に該当するかどうかにつき判断する。

前示冒頭認定の事実によれば、被告奥田としても、本件道路が附近の住民により長年道路として使用されていることを認識しながら本件道路を買受けたものと認むべきであるが、被告奥田が、本件道路を買受ける際、原告らが通行地役権を有することを知りながらその登記のないことを奇貨としこれを窮地に落し入れ本件道路を原告らに高く売りつけ暴利を貪る意図を有していたとか、原告らのいうような不法な利益を得る目的で買受けたものであると認むべき証拠はなく、むしろ、前示事実によれば、同人としては原告らには本件道路全体を道路として使用する権利はなく、一部を通路として残しておけば他の部分は自由に使用しても差支えないものと考えていたことが窺われるので、他に特段の事情が立証されない本件では、被告奥田が右の如く考えたことや本件妨害物を置いたことの当否については批判の余地があるにしても、直ちに、被告らがいわゆる背信的悪意者に該当するとはいえないというべきである。

そうだとすれば、結局、原告らは被告らに対抗し得べき通行地役権を有しないものというほかなく、通行地役権を根拠とする原告らの請求は理由がないといわざるを得ない。

(4)、囲繞地通行権を根拠とする排除請求について

原告上山、同岡本、同山口、同本瓦、同橋本千代、同小野、同佐藤、同渋谷、同村野、同泉、同時枝、同内林、同肥田の各居宅は、いずれもその裏側が住宅に接しており、本件道路を通る以外には公道に達する道はない、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いない事実に前掲各証拠および弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

本件道路の北側隣接地は、西側より順に、訴外人某の居宅及びその敷地があり、その敷地に接して原告内林宅に通じる通路が北側に延びており、その通路に接して原告山口所有の家屋及びその敷地があり、同敷地に接して原告本瓦所有の家屋及びその敷地が同敷地に接して原告橋本千代所有の家屋及びその敷地が、同敷地に接して原告小野居住の家屋及びその所有敷地が、同敷地に接して原告肥田の居宅に通じる通路が北側に延びており、同通路に接して原告佐藤同渋谷が居住している原告渋谷所有の家屋及びその敷地が、同敷地に接して原告村野所有の家屋及びその敷地が、同敷地に接して原告時枝、同泉、同林が賃借し居住している原告小椋平三所有の家屋及びその敷地が同敷地に接して原告橋本弘が居住している原告八木敬子所有の家屋及びその敷地があり、同敷地は前記東側公道(但し、幅員1.8メートル)に接している、そして、原告山口、同本瓦所有の敷地の北側に隣接して原告内林所有の家屋及びその敷地が、原告橋本千代、同小野所有の敷地の北側に隣接して原告肥田所有の家屋及びその敷地で同原告が大蔵省より賃借している土地がある。

本件道路の南側隣接地は、西側より順に、前記西側の公道(幅員5.4メートル)に隣接して被告奥田所有の土地があり、同土地上に原告四ツ碇所有の家屋がある、同土地に隣接して訴外船津弥之助所有の二筆の土地があり、同各土地上に原告上山、同岡本が賃借し居住している右船津所有の家屋がある、右船津の土地に隣接して原告中井が賃借し居住している原告中許所有の家屋及び同人所有のその敷地がある、そして、同敷地は前記東側の公道(但し、幅員2.86メートル)に接している。なお、以上各敷地の地番、地積、所有者、利用権原の内容は、別紙物件目録第二記載のとおりである。

右事実によれば、原告中許、同八木敬子の所有地は公道に接しており右原告らが本件道路につき囲繞地通行権を有しないことは明らかであり、また、同原告らからそれぞれその所有地上の家屋を賃借し居住している原告中井、同橋本弘も右権利を有しないというべきである。原告四ツ碇は被告奥田所有地を賃借しているが、同土地は幅員五メートル余の西側の公道に接しており袋地には該当しないから原告四ツ碇も囲繞地通行権を有しないというべきである。

囲繞地通行権は、袋地を利用価値あらしめる公益上の必要のために隣接地に対し通行権を認めるというものであり物権的請求権たる性格を有するものと解されるから、囲繞地通行権を主張しうる者は、その袋地につき所有権、地上権、賃借権その他少くとも物権的妨害排除権能を持ちうる権利を有する者(占有権者を除く)に限られると解するのが相当である。とすれば、原告肥田は前記家屋敷地につき賃借権を有するけれどもこれが対抗要件を備えていることの証拠はないので物権的妨害排除権能を有せず、袋地上の家屋に居住しているとはいえ、原告時枝、同泉、同林、同佐藤、同岡本、同上山はその居住家屋を貸借しあるいは、他人の所有家屋に同居しているにすぎず、その敷地部分について右の如き権能をもつ権利を有するとは認め難いので同原告らは固有の囲繞地通行権を有しないというべきである。

原告山口、同本瓦、同橋本千代、同小野、同渋谷、同村野、同内林は、いずれもその居住家屋の敷地部分(右各土地が本件道路以外に公道に通じる道のない袋地たることは前記のとおりである。)につき所有権を有する者であり、原告小椋は、現在、他所に生活しているもののその所有家屋を原告時枝、同泉、同林に賃貸しており同家屋の敷地部分(同じく袋地たること前述のとおりである。)の所有者である。そして、本件道路が昭和四、五年頃から道路としての形態を有し右原告らあるいは右原告らの前居住者により道路として使用されてきたことからすれば、右原告らは本件道路につき囲繞地通行権を有するというべきである。

しかして、本件道路全体が前示の如く昭和四、五年以来数十年の長きにわたつて道路として利用されてきたものであり、荷物の集配、集塵作業、その他日常生活において何かと自動車の利用されることの多くなつた現今においては右道路全体を道路として使用すべき必要性は往年に比し増大しこそすれ決して減少しておらず、前記原告らが本件道路を従前の如く利用することができなくなることによつて蒙る不便、不利益には軽視し得ざるものがあること、他方、被告らの本件道路を使用すべき必要性については、被告奥田本人尋問の結果によれば、被告奥田が本件道路を買受けるに至つたのは知人を通じ前所有者が相続税の関係で困つているので買取つてほしい旨頼まれたからというのであつて必ずしも被告奥田ないし被告会社においてこれを使用すべき差せまつた必要があつて購入したものではなく、また、本件妨害物を置くに至つたのも、前記本件道路上の建築物を撤去したあと、当時、他所で購入した建物の廃材を置く場所がなかつたのでこれを置いていたところ、附近の住民がいろんな物を置いたり捨てたりしたのでこれなら廃材を置いてもよいと思い本件妨害物のような石や瓦も置くようにしたというのであつて被告らにとつて本件道路が本件妨害物の置場として必要不可欠のものであるかどうか疑問であること、そして、本件妨害物の如き物件を住宅のたち並ぶ本件道路の如き場所に置くことは円滑な社会生活を維持していくうえで決して妥当なことではないこと、等の事情を彼此勘案すると、右原告らは上記囲繞地通行権にもとづき本件妨害物全部の排除を請求し得ると認めるのが相当である。

そして本件道路が被告奥田の所有であり、本件妨害物が同人が会長をしている被告会社の所有または管理にかかる物件であることは当事者間に争いがなく本件妨害物が被告奥田の意思に基づき本件道路上に置かれるに至つたものであることは同被告自身の供述および弁論の全趣旨により明らかであるから、被告らは共同して前示妨害状態を生じさせているというべきであり、右原告らが被告らに対し囲繞地通行権を根拠として本件妨害物の排除を請求するのは理由があるというべきである。

二、慰藉料請求(但し、原告小椋、同八木、同中許を除くその余の原告の請求)について

前記一冒頭の認定事実及び弁論の全趣旨によれば、原告佐藤および同橋本弘を除く右原告らはいずれもかねて何ら妨害物のない状態で本件道路を利用してきたものであり、その間何人からの異議もなく、これを利用することによる生活利用を享受してきたものというべきである。

しかるところ、本件妨害物が置かれたことによりその自由な使用、通行を妨げられていることは前示のとおりであり、原告らがその主張の如き不安や危惧の念を抱いて心労し、また、実際に従来なかつた不便や不都合を蒙つているであろうことも推認するに難くはない(尤も、ハエや蚊が発生し犬猫の捨場になつたため衛生、風紀が悪化したとの点についてはその具体的状況はにわかに確定し難い)。

しかし、他方、原告ら全員が本件道路を全面的に使用しうる明確な権利を有していると認め難いことは前示のとおりであり、また、前述の如く本件妨害物は前示原告らの囲繞地通行権との関係で排除せられるべきではあるが、囲繞地通行権があるということ自体は当然に本件道路の幅員全体を使用しうることを意味するものではなく、本件妨害物全部の排除が認められるのは本件妨害物を本件道路の如き場所に置くことの不適当性および被告らの本件道路を使用すべき必要性に疑問のあること等前示の如き事情を彼此勘案したうえでのことであることを考慮し、かつ、被告奥田は、本件道路が道路として使用されていることを認識しながら本件妨害物を被告会杜に置かせたものではあるが本件道路の一部に通路を設けるならその余の部分をどのように利用してもよいと考えて右の如き行動に出たものであるところ、被告奥田が本件道路全体を原告らに使用させる必要はないと考えたこと自体は必らずしも全く理由のないことではなく、実際にその北側部分に狭い所で幅員1.5メートル広い所で幅員約二メートル位の部分を通路として残し、原告らの通行を全面的に禁止してはいないことを勘案すれば、一概に、被告らが原告らの権利を故意もしくは過失により不法に侵害したとか、被告らの行為が直ちに権利濫用に該当するとはいえないというべきである。よつて同原告らの慰藉料請求に関する主張は、採用し難い。

三、以上のとおりであるから、原告らの本訴請求のうち、妨害物排除請求については、原告山口、同本瓦、同橋本千代、同小野、同渋谷、同村野、同内林、同小椋の請求は理由があるのでこれを認容しその余の原告らの請求は棄却することとし、慰藉料請求については、すべての原告につき理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(首藤武兵 上野茂 松尾家臣)

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